ロバートデニーロの若い頃、妻は黒人!?息子たちについて!

ダンディ中のダンディ。男の中の男。誰もが憧れるおじちゃん、ロバートデニーロさん。ダンディさだけではなく、演技派といえば彼を上げるファンも多くおります。

今回はそんなカッコいいロバートの若い頃や妻子供について迫っていきます。

若い頃

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AD より引用)

1943年ニューヨークで生まれたデ二―ロさん。両親ともに画家というアーティストの家系で生まれました。

父親はイタリアとアイルランドのハーフで、母親はイングランドやフランス、ドイツオランダの混血という中々多彩な血筋の家系に生まれました。

両親はデニーロが2歳の時に離婚しますが、離婚後も両親が近くに住んでいたこともあり父と母の間を行き来しながら育ちました。

子供のころから憧れだった役者になり、一時はヨーロッパに渡り演技の修行をしていました。若いころは後に様々な映画で名前を残すブライアン・デ・パルマ氏とコンビを組む事が多かったようです。。

1972年に映画「ゴッドファーザー」のオーディションを受けますが、落選。

しかし、監督のフランシス・フォード・コッポラに気に入られ続編の「ゴッドファーザーPART2」に出演したことでスターの座を手にしました。

その後は、多くの名作を生んだ巨匠マーティン・スコセッシさんとコンビを組むことが増え多くの名作を世に残しました。

役作りが凄い。”デニーロ・アプローチ”

https://www.cinemacafe.net/article/2013/10/31/20015.html より引用)

デ二―ロさんはその役者魂の凄まじさから「演技派」としても高い評価を受けています。彼の演技メソッドは「デ二ーロ・アプローチ」とわれており、複数の映画でそれを観ることができます。

演じる役柄に自分の私生活をあわせる「デ二―ロ・アプローチ」はその後、クリスチャン・ベールやレオナルド・ディカプリオなども真似をしていたそうです。

「ゴッドファザー PART II」”マーロンブランド”

彼の出世作となった『ゴッドファーザー PART II』では、主人公でありPART Ⅰではマーロン・ブランドが演じたイタリアンマフィアのボス、ドン・コルレオーネの若き頃を演じました。

その際に、彼は実際にイタリア・シチリア半島に住み、シチリア訛りのイタリア語をマスターして、さらにはマーロン・ブランドのしゃべり方や独自の枯れた声もマスターしたそうです。

声をつぶしてしまうかもしれないのにそれを覚悟で演じた彼の役者魂には完敗ですね。

実際に働いちゃう

タクシードライバー

彼の代表作である『タクシードライバー』では3週間、ニューヨークでタクシードライバーとして実勢に働き、役柄のリアリティを追及していたそうです。

ディア・ハンター

また別の代表作『ディア・ハンター』では、物語の舞台となったペンシルバニア州のピッツバーグに撮影が始まる数ヶ月前から偽名で暮らし、さらには現地の鉄工所で働こうとしましたが、拒否されてしまったそうです。

役柄のためには全力でリアリティを追求しようとする彼の姿には脱帽するしかありません。

太る・痩せるは自由自在

レイジング・ブル

実在したミドル級ボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝映画『レイジング・ブル』では肉体改造を行い鍛え抜かれた肉体を披露、そして、引退後の姿を表現するために体重を20キロも増やしました。

この時は、体重を増やすためイタリアに赴き、イタリアンレストランをかなり食べまくったといわれています。

アンタッチャブル

『アンタッチャブル』では頭髪をそり上げ、実在した伝説のマフィアのボス、アル・カポネを演じました。

体重はこの映画撮影直後に別の映画での仕事が決まっていたので太るわけにいかず、ボディスーツを着用しましたが、顔だけを太らせて撮影に挑んだそうです。

ホンモノ思考

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

ユダヤ系アメリカ人の少年たちの成長を描いた大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、役柄の研究のためにユダヤ系の家庭にホームステイをしていたそうです。

ミッドナイト・ラン

また、賞金稼ぎを描いたアクション映画の『ミッドナイト・ラン』では、監督のマーティン・ブレストと共に本物の賞金稼ぎと行動し、捕獲の瞬間や張り込みを見学して、捜査はどのようにして行うかを研究していたと言われています。

レナードの朝

重度の精神病に苦しむ男性を演じた「レナードの朝」では本当に数カ月間病院に入院し、精神病院や精神病に苦しむ人間はどのような生活を過ごしているのかを研究していました。

ロバートデニーロ エグザイル

また、2012年に公開された『ロバートデニーロ エグザイル』ではホームレス役で出演するに当たってホームレス施設に潜入し、かなり研究を重ねていたそうです。

このように俳優としてのキャラクター作りにリアルな血を与えるためには本気で挑む姿勢が彼を演技派としての評判を定着させてるゆえんなのかもしれないですね。

出演作

https://front-row.jp/_ct/17192865 より引用)

彼は数多くの様々役柄の映画に出演しています。その中には多くのファンから傑作だと、語られるものも多数あります。

彼が演じるのはマフィアのボスから無軌道な男などひと癖あるキャラばかりですが、そんなキャラでも平気で演じるられるのはやはり演技派俳優なのだといえます。

彼はよくマーティン・スコセッシ監督の映画に出ていて、彼とのコンビで作られた映画はどれも傑作ばかりと評判が高いです。

ミーン・ストリート

https://ameblo.jp/cinephile/entry-10148756729.html より引用)

1973年にはマーティン・スコセッシ監督の『ミーン・ストリート』に出演しました。この中で彼は暴力的な厄介者のチンピラを演じ、今でも多くのファンから高い評価を得ています。

彼の親友を演じていたのはその後、共演が多く、また私生活でも友人であるハ―ヴェイ・カイテルさんです。

タクシードライバー

http://moviestar1.blog.fc2.com/blog-entry-72.html より引用)

1976年に公開された「タクシー・ドライバー」

元・ベトナム帰還兵のタクシードライバーを演じていて、映画の中でのトラビスというキャラクターは今でも高い評価を得、多くの観客の共感を浴びています。

余談ではありますが、実は本作かなり危険な映画で、この映画をみて現実と妄想の境目がつかなくなった観客の一人が当時大統領候補の一人だったレーガン氏を襲撃したこともあります。

それほどデ二―ロさんがこの作品で演じたトラビスというキャラクターはリアルだったようです。

ニューヨーク・ニューヨーク

yahoo!映画より引用)

1977年に制作された『ニューヨーク・ニューヨーク』という映画では気の短いサックス奏者を演じておりました。

話の内容は楽団に属している男女のもつれや愛憎を描いたメロドラマです。監督は「タクシードライバー」と同じマーティン・スコセッシさんです。

スコセッシ監督とはこの後複数にわたりタッグを組むことになります。

レイジングブル 

https://eiga.com/news/20120406/12/ より引用)

1980年に制作された「レイジング・ブル」では実在したボクサーの半自伝的な内容で、この映画で彼はアカデミー主演男優賞を獲得します。

前出のように、この映画で彼は肉体改造を行い30kgも増量をして、後に「デ二―ロ・アプローチ」と知られる演技メソッドを生み出したと言われています。

同じボクシングを描いた「ロッキー」とは正反対に挫折していくボクサーの内容で、まさしく「光と影」のように対照的な内容になっています。

監督はまたマーティン・スコセッシさんです。

キング・オブ・コメディ

1982年に制作された「キングオブコメディ」ではベテラン芸人を誘拐し監禁するコメディアン志望の男性を演じていました。

この映画で彼はアカデミー主演男優賞にノミネートされました。興行的には失敗作でしたが、ファンが多く日本でも関根勉さんは本作の大ファンです。

今野浩喜さんも本作の大ファンで、以前結成していた漫才グループ「キングオブコメディ」の名前の由来にもなったそうです。彼の演技メソッドであるデ二―ロ・アプローチは本作でも行われています。

彼は数カ月間、実際にコメディアンのライブに通い彼ら独自の「間の取り方」や「タイミング」などを研究していたそうです。本作の監督は「タクシードライバー」と同じくマーティン・スコセッシさんです。

グッドフェローズ

https://www.myprivatecomedy.net/entry/2018/08/23/163658 より引用)

1990年に制作された「グッドフェローズ」では彼が得意とするマフィア役を演じています。

彼が演じたジミー・コンウェイは実在したジミー・バークというマフィアをモデルにしていて、獄中の本人が、“デ二―ロが自分の役を演じる”という事を聞いて大喜びしデ二―ロにコンタクトをとったり演技する上でアドバイスを送ったそうです。

その影響か、非常に暴力的で恐ろしい映画になっていて、彼の演技力も発揮されています。

彼の演じた役柄も印象的ですが、話題はジョー・ぺシ扮する凶悪なマフィアに集まりアカデミー助演男優賞がジョー・ぺシさんに贈られました。

ちなみに監督は今までと同じくマーティン・スコセッシさんです。

ケープ・フィアー

http://vincentvega.hateblo.jp/entry/capefear_tattoo より引用)

1992年に公開された「ケープ・フィアー」では、自分のことをまともに弁護しなかった弁護士に逆恨みをして復讐しようとする凶悪犯を演じました。

監督はやはり、マーティン・スコセッシさん。この映画で強靭な肉体を見せるためにまたまた、肉体改造を行ったそうです。

各所で評判の高い本作ですが、実は神戸連続児童●傷事件の犯人である少年Aこと“酒鬼薔薇聖斗”も本作を好きな映画の1つとしてあげていました。

カジノ

https://kaigai-drama-eiga.com/2017/09/16/casino-film-1995/ より引用)

1995年に制作された「カジノ」では再び実在したカジノ王とマフィアの癒着を描いたサスペンス映画で彼はカジノ王を演じています。

監督はまたまたマーティン・スコセッシで、共演は「レイジングブル」「グッドフェローズ」で出演していたジョー・ぺシさんが脇を構えております。

ゴッドファーザーシリーズ

http://nounai-backpacker.hatenablog.jp/entry/2017/04/19/113000 より引用)

若い時のドンを演じるのが若き日のロバート・デニーロ。

ずいぶんと前のはずなのに時代を感じさせない上に、1作目で演じたマーロン・ブランドを少し彷彿とさせるのが流石といったところでしょう。

これがきっかけにスターになりましたが、もうすでに貫録たっぷりです。

黒人妻グレイスハイタワー

https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20160328-00055916/ より引用)

ロバート・デ・二―ロさんの奥さんは“グレース・ハイタワー”さんと言います。昔から白人ではなく非白人女性が好きなのか付き合う女性は非白人ばかりだったデ・二―ロさん。

1997年に二人は結婚、その1年後には離婚が騒がれましたが復縁し20年以上共に過ごしていました。ちなみにデ・二―ロさんはこれが二回目の結婚だそうです。

一度目の結婚は1976年女優の“ダイアン・アポットさん”で、1988年に離婚しました。しかし、2018年、長く続いた結婚生活にピリオドが打たれ、とうとう離婚してしまいました。

「私たちは関係を見直す時期に差し掛かっており、それは難しいと同時に前向きな過程でもあります。」

https://prestige.smt.docomo.ne.jp/article/134720 より引用)

と語っていて、前向きな形で離婚したのだと思われます。

息子が自閉症??

https://wikibirthday.com/elliot-de-niro/ より引用)

デ二―ロさんの息子、エリオットさんが自閉症と言う事で悩んでいるそうです。詳しい事は不明ですが、ある情報によると母のグレースさんとは同居しておらず別々に住んでいるという話があります。

現在、20歳ですが母親と住んでいてもおかしくはありません。もしかしたら病状が重く一緒に生活することは不可能なのかもしれません。

生まれついて自閉症というわけではなく、デ二―ロさん曰くワクチンを接種したことで自閉症の症状が出始めたということでした。

デ二―ロさんと激しい口喧嘩をしたこともあるドナルド・トランプ大統領も以前にワクチンこそが自閉症の原因になると公言していたことがありました。

ちなみに現在トランプ大統領はこの考えを撤回しています。

デ二―ロさんもワクチンが原因で自閉症になると信じていて、自身が主催した映画祭で「反ワクチン」のドキュメンタリーを上映しようとしていましたが、断念しました。

その理由は恐らく「自閉症のきっかけをワクチンが作る」という説は根拠が薄く偽科学ではないかと言われているからだとされています。

反対に製薬業界からの圧力ではないかとの話も囁かれています。

自らが主催する映画祭で反ワクチンについての映画を流すほど、真剣に自分の息子が自閉症であることを危惧しているのではないかと思われます。

まとめ

今回わかった情報をまとめると以下のようになります。

  • 若いころからその才能を多くの巨匠に認められていた。
  • デ二ーロ・アプローチという役柄に対して肉体改造を行う演技法を編み出した。
  • スコセッシ監督とコンビをこんで出演した映画は高評価の作品が多い。
  • 妻のグレースさんとは2018年に離婚している。
  • 息子のエリオットさんは自閉症。

最後まで読んでいただきありがとうございました。