若尾文子の若い頃【昔】が色気ムンムン!経歴は?○○に似てる疑惑まで総まとめ!

「しとやかな獣」「刺青」などなど、今までに150作品近く出演している、大女優若尾文子さん。

今回は若尾さんの若い頃を出演作品や、人気作などに分けて振り返っていきます!

 

若尾文子の若い頃は?

 

 

 

1951年に大映の第5期ニューフェイスとして映画界入りしました。
主なテレビドラマ作品では、「新・平家物語」「武田信玄」「徳川家康」「おひさま」に出演。

 

主な映画では、「十代の性典」「赤線地帯」「妻は告白する」「女は二度生まれる」「華岡青州の妻」

出演をしました。

さすが名女優といわれる方で、目もパッチリしていて、着物もとても似合っている日本美人ですね。

今の時代にはない艶やかな雰囲気が漂っていますね。

 

代表作人気1位は「しとやかな獣」!

 

 

1962年12月26日に公開された日本映画。

 

あらすじは、マンションの一室で優雅に暮らす元軍人の前田夫妻(伊藤雄之助、山岡久乃)。

娘(浜田ゆう子)は流行作家(山茶花究)の妾になって彼からさんざん金をしぼり取り、

そのツテで芸能プロダクションに入社した息子(川畑愛光)は会社の金を使い込んでいる。

そのために社長に怒鳴り込まられても、彼が帰った後は涼しい顏の夫妻。

つまりこの一家は家族ぐるみで詐欺行為を働いているのである。

しかし、息子と関係があった幸枝(若尾文子)という会計係の女が来てから、

前田家の事情は大きく変わるのだった。

 

 

若尾文子さんは川島雄三監督の「しとやかな獣」は、

 

「160本の映画に出ていますけれど、一番難しかった。自分らしくない役で、

どうしていいか分からないところが随分あった。良くなかった気がするんですよね」

 

という。

それでも、「川島監督はとても自由にやらせてくださる方。ちょっと変わった映画でしょ。

でも色気のある面白い映画」と振り返っておられました。

 

2位は1966年「赤い天使」に出演!

 

 

1966年10月1日に公開された映画。

 

あらすじは、西さくら(若尾文子)は従軍看護婦として天津の陸軍病院に赴任した。

しかし、間もなく夜間巡回中に数人の患者に犯されてしまう。

そして、二カ月後、深県分院に転属となった彼女は、軍医岡部(芦田伸介)の指揮の下で、

次々とトラックで運ばれてくる傷病兵の対応に追われるようになる。

精神をすりへらす仕事に、岡部軍医はモルヒネを常用するようになっていた。

天津に戻ったさくらは両手を切断した、折原一等兵(川津祐介)に会う。

折原のために、さくらはホテルの一室で全裸になりるが、翌日折原は遂げる。

そして再び深県分院に戻ったさくらは、岡部とともに前線にいくことになるが…。

増村と若尾のコンビの最高傑作か。
とにかく若尾文子さんの凄まじい演技は凄いですね。
日本映画史に輝く名作であります。

 

3位は1959年「最高勲章夫人

 

 

1959年2月10日公開された映画。

 

あらすじは、三原家は三人兄弟、
長男一郎と二郎は、二人共に家族で経営する三原商事の秘書だった野々宮家の長女桃子、

次女梨子とそれぞれ結婚。

三原家には大島商事に勤務している三男の三郎、野々宮家には短大を卒業した三女の杏子がいた。

桃子はこの二人を結ばせ、トリプルプレイを狙っているのだが、三郎と杏子はお互いに恋人があることを宣言、

絶対に結婚しないことを誓う。
ただ三郎は大島商事社長令嬢の富士子からプロポーズされていたけれど、本当は杏子には恋人はおらず…。

 

4位は1968年「女は二度生まれる」に出演!

 

 

1968年7月28日に公開された映画。

 

あらすじは、靖国神社の太鼓の音がきこえる花街。芸者小えんは建築家の筒井の胸にいだかれていた。

「お名刺いただけません、だってもしもって時いい訳が利かないんですもの、恋人の名前も知らないんじゃ」

売春禁止法も彼女にとってはなんのこうそくも感じさせなかった。

ともかく、毎日がけっこうたのしかった。そんな彼女にも心をときめかすことがあった。

それはお風呂屋への行きかえりに顔を合わせる大学生牧純一郎に行きあう時であった。

しかし彼女の毎日は、相かわらず男から男へと、ただ寝ることだけの生活だった。

そんな時知りあった寿司屋の板前、野崎にふとふれあうものを感じ、

おトリさまに一緒に行き商売をはなれて泊ったりした。

だが、この野崎も将来のことを考え、子どもまである女のところに入婿に行ってしまった。

その一方、彼女は遊び人の矢島と箱根に遠出したりした。そのかえりはじめて牧と口をきいたが、

大学をでた彼はよそに行くとのことで彼女は淋しかった。

そんなある日、彼女のいた置屋の売春がばれて営業停止になった。

彼女はもとの同僚にさそわれるまま、銀座のバーにつとめ、そこで筒井に再会、すすめられ二号となった。

 

 

そこでも彼女はかわいい女だった。ロードショー劇場であった少年工をかわいがって筒井をいからせたりした。

しかし、筒井が病にたおれると本妻の目をぬすんでけんめいに看病したりもした。

そして一時小康をたもった筒井が死ぬと写真をかざり、モ服を着てなげいた。

彼女はふたたび座敷にでて牧に再会したが、彼が外国人客の接待をたのんだのを知って絶望した。

街にさまよいでた彼女はいつかの少年工に会った、少年が山に行きたいのを知って、故郷へ行って見ようと思った。

その途中、妻子ともに幸福そうな野崎にばったり出あった。

彼女から金をもらって元気に山にでかける少年を見送り、

故郷へ行く決心をした彼女の目には新しい人生を生きていこうという生きがいのようなものが見られた。

 

5位は1965年「清作の妻

 

 

1965年6月25日に公開された映画。

 

あらすじは、お兼は病身の父を抱えた一家の生計を支えるため、六十を越えた老人に囲われた。

今その老人も千円の財産をお兼に残すと他界した。そしてお兼の父も時を同じくして死んだ。

大金を手にした母お牧は、かつて逃げるようにして離れた村に喜々として帰った。

気のすすまぬまま母に従ったお兼は、ものうい放心した日を送っていた。

村一番の模範青年清作の除隊は、お祭り騒ぎの内に迎えられたが、

村八分同様のお兼らには関知せざることであった。

清作は軍隊で貯えた金で鐘を作り、村人を堕眠から覚ます警鐘を鳴らし、村人からは英雄視されていた。

そんな清作とお兼が愛しあうようになったのは、お牧の急病で、清作が医者のもとへ走ってからであった。

お牧の野辺送りも清作の尽力で無事終った。二人の結婚は村人の敵視の中で行われ、

清作は家を捨ててお兼の家に入った。お兼の性格は一変し、野良仕事に精を出す毎日は、

甘く充ち足りた日々であった。だが日露戦争の勃発は、二人の上にも暗い影を落した。

 

 

清作は召集され、お兼は孤独と冷やかな周囲の目の中で過した。

ある日、清作は名誉の負傷を受けて送還された。英雄となった清作に、お兼は殊更村人から疎外された。

だが二人の愛情は、周囲の反撥にもめげず高まっていった。やがて傷が癒えて、戦場に帰る時が来た。

村人たちは今度は清作が英雄から神になることを期待し、清作も軍国の模範青年たることを疑わなかった。

出発の時間が迫り、お兼と清作が二人になった時、お兼は五寸釘で清作の両眼を刺した。

突差の出来事に呆然とする村人の中で、お兼は半狂乱であった。

清作が虚飾に満ちた自分の過去を悟り、お兼の愛の深さを知ったのは、日露戦争も終った頃であった。

 

6位は1964年「

 

 

1964年7月25日に公開映画。

 

あらすじは、夫に不満のある園子は、通っている美術学校で光子という美しい女性に出会い、

やがてふたりは同性愛の関係を持つようになる。

園子の夫は次第に、園子と光子がただの友達関係ではなさそうだと不信がるようになる。
光子は同性の園子とは別に綿貫という男とも交際しており、光子の妊娠が発覚する。

しかしこの妊娠は、光子を自分だけのものにするために綿貫がついた嘘だった。

綿貫は性的不能者であることを秘密にしていたのだ。光子は園子のことを愛していたが、

嫌いな綿貫から束縛され、逃げられずにいた。

綿貫の策略はますます過激になり、逃げ場を無くした園子と光子は死なない程度に服薬し、計画的に心中を装う。これにより綿貫は光子と会えなくなった。

]ふたりは搬送され眠っていたが、先に目覚めた光子は、看病をしていた園子の夫と性関係を持ってしまう。

そして彼が光子の初めての男になってしまった。

 

7位は1961年「妻は告白する

 

 

1961年10月29日公開の映画。

 

あらすじは、円山雅也『遭難―ある夫婦の場合』を井手雅人が脚色した。

増村保造と若尾文子のコンビによる最高傑作との呼び声も高い。 北穂高山麓で三人の登山者が遭難した。

男と女が宙づりとなり、二人を支える男の手からは血が噴き出していた。女がナイフでザイルを切り、

宙づりになっていた男は転落死、残る二人は助け出された。

女は彩子、死亡したのは彼女の夫で大学助教授の滝川、救出された男は彩子の愛人の幸田だった。

彩子は告発され、裁判では夫の死亡が故意か過失かが争われた。

その中で徐々に明らかになる彩子の過去。彼女は夫の呪縛から逃れようと、幸田に救いを求めていたのだった。

裁判の結果、彩子は無罪となったのだが…。

 

8位は1957年「青空娘」に出演!

 

 

1957年10月8日公開の映画。

 

あらすじは、伊豆のある町の高校を卒業した、小野有子は東京の父母の許に帰ることになっていた。

だが小さい頃から育てられたお婆さんに臨終の際、本当の母は他にいることを聞かされて驚いた。

訪れた小野家では父親が出張中で女中扱いされ、味方は女中と出入りの魚屋だけだった。

が次男の腕白中学生弘志とある時大喧嘩をしてから急に仲よくなった。

そんな頃、有子は卓球大会で長女照子のボーイフレンド広岡を破り、

彼から好意を持たれたので照子の怒りを買った。

だが彼女は“いつも青空のように明るく”生きることを教えてくれた絵の先生二見が上京するというので大いに力づけられた。

また、帰った父栄一から母の話を聞き行方不明の母を探そうと決心をした。

一方、広岡が有子に求婚したことを聞いた照子は有子を泥棒よばわりし、彼女は堪えかねて家を出、

二見の下宿を訪ねた。そこで二見の温かさに触れたものの、

隣の住人で二見の恋人と自称する女性が現れて追いたてられてしまった。

 

 

広岡から旅費を借りて伊豆に帰った有子は、実の母が訪れて来たことを知り残念がるが、

母が生きていたことが分り喜ぶのだった。やって来た二見を囲んでクラス会が開かれ、

席上友達の信子からジャズ喫茶をやっている叔母を紹介され、有子は再び上京、そこで働くことになった。

広岡や二見の協力で有子が実の母に会うことが出来た感激の瞬間、

弘志がたずねて来て父が病床にあることを告げた。有子は尻ごみする母を連れて小野家を訪れた。

栄一の臨終間際の心ある言葉に、家族達はすべてを水に流して和解することができた。

いつの間にかひそかに有子の面影を抱いていた二見も、

淋しい気持をふり払って有子と広岡の将来を祝福してやるのだった。

9位は1964年「夫が見た」に出演!

 

 

1964年2月25日公開の映画。

 

あらすじは、川代誠造は、敷島化工の株式課長だ。今、株の買占めに悩まされる敷島は、その防衛に必死で、

川代も家をあける事もしばしば。妻の那美子はそんな夫との生活に耐えられず、友人に誘われるまま、

バー「2・3」で遊ぶようになった。バーの経営者石塚健一郎は事業欲が旺盛で敷島の乗取りを企てるつわもの。

石塚は郡美子が川代の妻と承知の上で誘惑した。

石塚は、美人秘書エミやバーのマダム洋子とも関係している。一方誠造も石塚の情報を得るためエミと関係した。株の買占めに洋子は、何かと手をつくしていた。

那美子が誠造の情事を知った直後、エミは何者かによって殺害された。

犯人は誠造であるとみなされた。那美子は一度は夫のアリバイ造りに偽証したものの石塚の苦境を知り、

夫を裏ぎり石塚のアリバイを証言した。全てに失敗し会社の地位をも失った誠造は、

那美子に身体を売って石塚に株の買占めから手をひくよう懇願してくれとたのんだ。

意を決した那美は石塚との情事にふけった。

石塚は株の代金二百万を、洋子との手切れ金にし、那美子との新しい生活に入ろうとした。

が、那美子が洋子の家でみたのは石塚の冷たいなきがらであった。

 

10位は1959年「浮草」に出演!

 

 

1959年11月17日に公開された映画。

 

あらすじは、旅回りの駒十郎一座の乗った船が港に着いた。駒十郎は一膳飯屋にお芳を訪ね、

その昔二人がもうけた清も今では郵便局に勤めていると知って安心する。

清には駒十郎はお芳の兄ということになっていた。駒十郎の連れ合いのすみ子は、

清のことを不審に思い加代に清を誘惑してくれるよう頼む。加代と清は恋仲になり、

それを知った駒十郎は加代とすみ子を激しく叱りつける。客入りの悪くなった一座は解散することになり、

駒十郎と清は加代を巡って対立する。お芳は清に駒十郎が実の父親だと打ち明けるが、清は許さず、

駒十郎は気が抜けたように立ち去る。駅に行くとすみ子が待っていて、二人は車中の人となるのだった。

 

おススメ出演作品!

 

1956年「赤線地帯」に出演!

 

 

1956年3月18日に公開された映画。

 

あらすじは、特飲店「夢の里」には一人息子修一のために働くゆめ子、

汚職で入獄した父の保釈金のために身を落したやすみ、失業の夫をもつ通い娼婦のハナエ、

元黒人兵のオンリーだったミッキーなどがいた。国会には売春禁止法案が上提されていた。

「夢の里」の主人田谷は、法案が通れば娼婦は監獄へ入れられるといって彼女等を失望させた。

新聞を読んで前借が無効になったと考えたより江は世帯道具を持ってなじみ客の下駄屋の許へ飛び出したが、

結局自堕落な生活にまた舞い戻ってくるのであった。ゆめ子は息子修一に会うために田舎へ行ったが、

修一は親子の縁をきって東京に来ていた。ある雨の降る日、

しず子という下働きの少女が「夢の里」に入って来た。

ミッキーのおごりで無心に天丼をたべるしず子の瞳をみつめていたゆめ子が突然、

修一の名を呼びながら発狂した。その夜、やすみにだまされたと知った炭屋の青木がやすみの首をしめた。

 

 

やすみは死に損なったが、青木は宮崎巡査に連行された。ゆめ子が病院に送られる頃、

ラジオは法案の四度目の流産を報じていた。そして今日も「夢の里」には、何ごともなかったように、

ネオンの下で客呼びの声が聞える。やすみの姿が見えないのは、

彼女のなじみ客だった貸ぶとん屋ニコニコ堂主人の塩見が夜逃げしたあと、

そこを買いとって女主人になってしまったからである。そしてやすみに代って、

下働きだったしず子が、威勢よく客呼びするミッキーの蔭で初店の盛装をこらして、しょんぼり立っていた。

 

1961年「お嬢さん」に出演!

 

 

1961年2月15日に公開された映画。

 

あらすじは、私(藤沢かすみ)とおチエ(花村チエ子)はそろって学校へ通う親友同士。

そしてそろそろ夢多き青春から結婚へのコースをたどっているようだ。

父は会社の部長、母はその父に仕える平凡な、そして良妻賢母型。

兄はすでに結婚して、素晴らしい奥さんと独立しています。

しかし父も母も私に対してお嫁入りの話など一向にしません。

しかし父の会社で働く三人のハンサム・ボーイがしょっちゅう家に遊びに来るのです。

そしてどうやらこの三人の男性のうち二人は私に好意をもっているらしいんです。

そのうちの一人、牧さんという人が父の会社の専務を通じて私をお嫁さんにほしいといってきているんですが、

 

 

父は私の自由な判断にまかせるといってるんです。ところが実は私はもう一人の男性、

景ちゃんこと沢井さんが好きになってしまったようです。ところがこの景ちゃん、大へんな色事師で、

私の知っているだけでも、洋品店の売り子の浅子さん、小町芸者の紅子さんとなかなかにぎやかです。

そんな景ちゃんにドラマチックな恋を感じるなんて、女心って不思議なものですね。

しかし景ちゃんの方も、そんな私のまえで女の子をひっかけて見せたり、けっこう純情なもんですね。

そんなこんなで、私たちは噴水のある公園のベンチでくちづけをかわして、

一気に結婚にゴール・インしました。そしてわたくしたちは幸福になったでしょうか。

新婚旅行に紅子さんが現われたり、アパートに浅子さんが出現したり、波らん万丈、

そのうえ義理の姉さんとの間までうたがうなんて……。あげくのはてに私の家出?

とまでなった騒ぎも、実は私の思いすごし。

やがておチエと牧さんも結婚するするでしょうが、私も平凡な奥さんが身について来たようです。

 

1962年「雁の寺」に出演!

 

 

1962年1月21日に公開された映画。

 

あらすじは、洛北は衣笠山の麓、灯全寺派の孤峯庵は京都画壇の重鎮岸本南嶽の雁の襖絵で名高く、

雁の寺ともよばれていた。ある日、喪服姿の桐原里子が山門を潜った。

南嶽の妾だが、彼の死後、遺言により孤峯庵の住職慈海を訪れたのである。

慈海は里子のやわ肌に戒律を忘れた。そのまま慈海の世話をうける身となった里子の眼にとまったのは、

小坊主慈念だった。若狭の貧しい寺大工の倅として育った慈念は、口べらしのためこの寺に預けられ、

宗門の中学校へ通っていた。同じく貧しい家庭に生れた里子は、いつしか慈念に同情をよせるようになった。

ある夜、狂おしげにいどみかかる慈海との情事に耽溺していた里子は、障子に人影の走るのを見た。

慈念に覗かれていると知って、里子は愕然とした。勉強がきらいな慈念の無断欠席をする日が多くなった。

宇田先生からそれを聞いた慈海は慈念を叱った。里子が庇うと、慈海は同情は禁物だといった。

若狭西安寺の住職から慈念の生い立ちを聞いた里子は、身をもって慰めようと彼の部屋に忍び入り、

惜しげもなく体を与えた。翌朝、慟哭する慈念の瞳が、何事かを決するように妖しく光った。

夜更けに酩酊して帰った慈海は、何者かに襲われてばったり倒れた。

 

 

その夜明け壇家の平吉が兄の葬式を頼みに駆け込んだ。里子は慈念を碁仇の源光寺に走らせたが、慈海はいない。

源光寺の雪州は慈念の宰配で葬儀を出してやった。慈念は里子に和尚は雲水に出たらしいと告げた。

棺桶の重さに不審を抱いた入人も、慈念の態度に気圧されたかたらで葬式は終った。

慈海の失踪を知った本山では、宇田竺道を孤峯庵に入れることにきめた。

慈念も里子も慈海のいない寺にいることはできず、身の回りを整理して寺を出ようとした。

「和尚のいるところへ旅します」という慈念の言葉に、ハッとなった里子は方丈に駆け入った。

南嶽の描いた子雁に餌を与える母雁の襖絵が、無残にも剥ぎとられていた。

里子にはおぼろげながら、慈海が殺されたことが判った。

 

1966年「刺青」に出演!

 

 

1966年1月15日に公開された映画。

 

あらすじは、外に雪が舞うある夜。質屋の娘お艶は、恋しい手代の新助と手と手をとり合って駈け落ちした。

この二人を引きとったのは、店に出入りする遊び人の権次夫婦だった。

はじめは、優しい言葉で二人を迎え入れた夫婦だったが、権次も所詮は悪党だ。

お艶の親元へ現われ何かと小金を巻きあげ、あげくに、お艶を芸者として売りとばし、

新助を殺そうとしていたのだ。が、そんなこととはつゆ知らぬお艶と新助は、

互いに求め合うまま狂おしい愛欲の日々をおくっていた。しかし、そんなお艶のなまめかしい姿を、

権次の下に出入りする刺青師清吉は焼けつくような眼差しでみつめるのだった。

そして、とある雨の晩。権次は、とうとう計画を実行に移し、殺し屋三太を新助の下に差しむけた。

だが、必死で抵抗した新助は、逆に三太を短刀で殺してしまった。

ちょうどそのころ、土蔵に閉じこめられていたお艶は、刺青師清吉のために、麻薬をかがされ、気を失い、

その白い肌一面に巨大な女郎蜘蛛の刺青をほどこされた。

 

 

恍惚として見守る清吉の姿は、刺青の美しさに魂を奪われたぬけがらのようであった。

やがて眠りから醒めたお艶は、この刺青によって眠っていた妖しい血を呼び起こされたように、

その瞳は熱をおびて濡れていた。それからというものお艶は辰巳芸者染吉と名を改め、

次々と男を酔わせていった。が、昔のやさしいお艶の姿を忘れきれない新助は嫉妬に身をやき、

染吉と関係を持った男を次々と殺し、ついにある夜、短刀を持って染吉に迫った。

だが新助には染吉を殺すことはできず、逆に染吉が新助を刺した。

一部始終をかいま見ていた清吉は、遂にたえきれず自らが彫った女郎蜘蛛を短刀で刺し、自らも命を絶った。

死んでいく染吉の顔には、すでに男をまどわした妖しい影はなく、優しいお艶の安らぎの顔があった。

 

1971年「男はつらいよ 純情編」に出演!

 

 

1971年1月15日に公開された映画。

 

あらすじは、木枯しの吹く初冬の長崎港。相も変らずテキヤ渡世に身をやつしている車寅次郎は、

五島列島の福江島に出かけていった。そこには長崎港で知り合った赤ん坊連れの出戻り女絹代の家があった。

そこで絹代と父親千造の愛情あるやりとりを聞いているうちに、たまらなく故郷柴又が恋しくなって、

一目散に柴又へ向った。その頃柴又の「とら屋」ではおいちゃん、おばちゃん、さくら、

博たちが集まって寅さんの噂ばなしに花を咲かせていた。というのは数日前、

「とら屋」におばちゃんの遠い親せきで和服の似合う美しい女性夕子が、

事情あって寅さんの部屋に寝泊りしながら店を手伝っていたからだ。

「寅がいたらまた熱を上げてしまう」というみんなの心配をよそに、寅さんがひょっこり帰って来た。

 

 

寅さんは自分の部屋が誰かに貸してあるのを知るとカンカンに怒って外へ出ようとするが、

現われた夕子を一目見るなり、たちまちのぼせ上り、旅に出るのはやめてしまった。

「とら屋」に腰を落着けた寅さんのところにある日のこと、さくらの夫博が独立問題を相談に来た。

それは、いい印刷工場の出ものがあるから、将来のために独立したいが、

永年世話になって来た社長梅太郎にいいだしにくいから寅さんからうまく話してくれということだった。

事情を聞いて寅さんは、「お前に向いている」とこの話に大賛成、翌日梅太郎のところに出かけた。

そんな寅さんは梅太郎に、「博が会社をやめないように話して下さい」と泣きつかれ、

義理と人情の板ばさみになった寅さんは、きのうの博との約束はどこへやら、

胸をたたきこれまた二ツ返事で引受けたから話はこんがらがって来た。

一方、博と梅太郎は話がまとまったと思い込み、その夜、寅さんを呼んで料亭でドンチャン騒ぎとなったが、

酔うほどに博と梅太郎の話は喰い違い、結局、寅さんは二人に何も話していないことがバレてしまった。

大もめの最中、博があてにしていた資金の調達ができないことが判明して、一応この話は一段落した。

やがてみんなの心配通り、寅さんが、夕子に一層熱を上げ始めた。

しかし、数日後、別居していた夕子の夫が「とら屋」を訪ねて来たことで寅さんの恋にも終止符が打たれた。

夕子は売れない小説家の夫と逃げるように柴又を去り、寅さんもさくらに見送られて旅へ出た。

明けて一九七一年。とある地方で、晴れ姿の娘たちを相手に、

立て板に水を流すような名調子で売をしている寅さんの姿があった。

 

1979年「午後の恋人」で市川海老蔵と共演!

 

 

1979年5月23日から9月12日までフジテレビ系列で放送されてました。

 

あらすじは、アパレル商社の名門、佐伯商事の2代目で専務の佐伯信吉(高橋昌也)は、

結婚して20年になる妻・明子(若尾文子)との間に子供がなかった。ところがある日、

年若きファッションモデルで愛人の千枝子(樹れい子)から妊娠を告げられ、

明子に子供のために離婚してくれと言い出す。それを受け入れ、独り身となった明子は、

コーヒー専門店の経営に乗り出す。また、年下で長唄鼓方の若き跡取りの樋口浩之(市川海老蔵)と出会い、

恋に落ちる。と言った内容で市川海老蔵さんと共演致しました!

市川崑との関係は?

 

 

『処刑の部屋』で市川崑監督と、出会います。

「生誕100年記念映画祭 市川崑 光と影の仕草」でも5本の出演作が上映されおりました。

日本橋の映画共演では、一石橋のセットなど、大映美術の素晴らしさは言うまでもありません。

そこに、前半は正当、後半は不可思議なストーリーが組み合わされて、

なんともいえない不思議な味の作品に仕上がったように感じます

 

井上ひさしとの関係は?

 

 

井上ひさしさんが仙台一高に通っていた頃、抜群の美貌で評判だった宮城二女高の高校生だった若尾文子さんに憧れていたそうです。

今日はその若尾文子さんの選挙演説に、仕事帰りにばったり出くわしました。

仙台駅のペデストリアンデッキで見た若尾文子さんは、

昭和8年生まれだと言うことなので今年で75歳になると思うのですが、

とてもおばあちゃんと呼ぶには失礼なくらい若々しくて綺麗で、女優オーラが出ていました。

夫であり著名な建築家でも有り、また、東京都知事選にも出た黒川紀章さんの政党である『共生新党』から参議院比例代表に立候補し、

若尾さんが第二の故郷と自称する仙台での演説となったようで、TV局もいっぱい駆けつけていたそうです。

 

三島由紀夫との関係は?

 

 

数ある出演映画の中には、小説家の故・三島由紀夫氏の相手役を務めたこともありました。

若尾が相手役に選ばれたのは、三島氏からの指名があったからと言われています。

1960年公開の『からっ風野郎』高名な作家となっていた三島氏が、

一人の役者として強がりなヤクザに扮し映画初主演を果たしました。

彼からヒロインに指名された若尾は、素敵なプレゼントも贈られたそうです。

それは彼が好んでいたロココ調家具のミニチュアで、椅子や銀の食台といった当時としては珍しい品であった。
若尾文子さんは三島由紀夫に認められていたのが伝わりますね!

 

京マチ子との関係は?

 

 

48作品を一挙公開する「大映女優祭」が2017年12月9日~1月12日に角川シネマ新宿で開催されました。

 

伝説の映画人を輩出した映画会社・大映の創立75周年を記念し、

“三大女優”と呼ばれた京マチ子、若尾文子、山本富士子らの傑作が特別公開されました。

先輩の京マチ子さんは現在94歳です。
若尾文子さんと9歳差です!

 

岡田茉莉子との関係は?

 

 

『映画女優 若尾文子』の中で四方田犬彦氏は若尾文子と対置できる女優がいるとしたら、

それは岡田茉莉子だと言下に語っています。
なるほど!二人はともに昭和8年の東京生まれで女学校時代に地方に疎開し、

世情の混乱が一段落してから東京にもどると相次いで銀幕デビューを飾り、

日本映画全盛時代を支える大女優になるとよく一致している。

ところがデビュー以前の生い立ちと撮影所体制崩壊後の処し方は正反対だ。

若尾はすばらしい企画をことごとく断りテレビと舞台に転進するのに対し、

岡田は映画監督の吉田喜重と結婚し、経済的に苦しい独立プロの活動を支えつづけているんですね!

 

大空真弓との関係は?

 

 

「波影」1965年公開の日本映画で共演しました。

 

福井の小浜の娼家を舞台に、昭和9年から敗戦を経て、公娼制度が廃止されるまでの時期を描いています。

若尾文子の容姿はほぼ変わりませんが、女将まさの子供は少年・少女から成人した大空真弓に変わって、

年月の流れを感じました。

深田恭子に似てる!?

 

 

深田恭子さんに似ているかと言う質問で、幾分腫れぼったいような一重まぶた、

やや張りだした顎の線にちょっと淫らな唇。深田恭子の容貌は若い頃の若尾文子にとても似ていると思います。

若尾文子は、明朗快活で笑顔の可愛い小娘かと思えば、溝口健二や増村保造の映画では、

強烈な色香で男たちを惑わせ破滅へと追いやる魔性の女のイメージが強いですね!単に色気があるだけでなく、

世間や常識と妥協しない強靱な意思を持ち、誰にも依存しない自立した女であるところが最大の特徴です。

 

 

『下妻物語』の深田恭子は、若尾の発散する強烈な大人の女の色気にはまだまだ及ばないけれど、

田圃とジャスコしかないローカルな町で、風景にまったく不釣合いなロココ調のドレスを身にまとい、

世間の眼などお構いなし、ロリータ・ファッションだけに命を懸けて、

友だちなんて必要ないとうそぶく彼女の自我の強さに、どこか大女優・若尾のイメージが重なってしまう。

と言うコメントがありました!

 

沢尻エリカと似てる!?

 

 

似ていると言う噂話はありませんでした。
沢尻エリカさんも美人女優なので若尾文子さんの若い頃の写真を見るとやはり美人女優!そして着物が似合う方!
美人女優って事もあり似てるように見えたのでしょう。

 

若尾文子の現在は激やせ!?マンションで杖暮らしで身長は縮んでる!?